2024-12-17(AYSA西部部会会員 USI)
「あなたに会いたい」–通常書籍で出版!!
内容のご紹介
AYSA西部部会会員の薄井さんによる最新出版「あなたに会いたい」のご紹介です。
今回の書籍の主題は、死者との邂逅です。「亡くなってこの世にはいなくなった愛する人」と、再びこの世で会いたいという願いは、誰しも持っている願望です。そのようなことはあり得ないと断言する人が多いかと思いますが、作者は亡くなった姉とこの世で会った体験を語ります。
ロンドンの地下鉄のホームにおける姉と思しき女性を目撃し、更にバースのローマ式浴場の遺跡でもこの女性を目撃します。
更にメルボルンのビクトリア王立美術館において、懐かしい聖母像を見た直後に、ヤラリバーの河畔で亡くなった姉と邂逅します。
なぜこのような二人の出会いが可能なのか、主人公は深く考察を進めます。
主人公の体験は単なる超常現象なのか?それとも美術館の聖母像が引き金となった心理学で言うところの「触媒的外在化現象」なのか?
最後に主人公は、この世界にオーバーラップしている余剰次元の世界(アナザーワールド)に住む死者からの重力波の信号ではないかと思い至ります。
物質世界として私たちが見ている4次元時空間の世界は、ただ一つの宇宙ではなく、5次元以上の余剰次元のマルチユニバースが存在して、死者はそこに瞬間的にワープして生きる煉獄のような世界があり、最終的には彼岸の世界(キリスト教で言うところの天国)に移るのではないかと考えます。
このような世界観は、老年になって死に向かっている私たちに救済を与えるものと主人公は考えます。
入手・購入方法
今回の出版は自費出版の限定版なので、入手を希望の方は薄井さんのメールアドレス(hiro-usui@mtj.biglone.ne.jp)にご連絡ください。
「あなたに会いたい」 著者 薄井洋基 銀河書籍 2024年11月10日 初版本発行 ISBN 78-4-86445-387-3
薄井氏著作による その他の出版物
「黒潮消失から始まる日々」
「黒潮消失から始まる日々」薄井洋基著 銀河書籍 2022年5月1日 初版本発行 ISBN 978-4-8645-244-9
●上記の書籍はアマゾンから「明日への道標」と改題して電子書籍として出版されています。ASIN:B0C13CXGPX
「臨床心理学教室のパンプキンさん」
「臨床心理学教室のパンプキンさん」薄井洋基著 22世紀出版 2023年12月31日 初版本発行 ISBN 978-4-88877-275-4
●全国書店における注文取り寄せが可能。またPOD(パブリッシュ オンデマンド)でもアマゾンから入手可能。電子書籍でもダウンロードが可能です。
●上記の出版物については下記の関連ページをご参照ください。
USIさんへ 著書「あなたに会いたい」の物語の「肝」について、私達はどのよう汲みとったらいいのか?そのヒントをより理解しやすくご説明して頂き有難うございました。本コメントを何度も読み、理解を深める努力をしましたが、改めてその実践の難しさを知ることとなりました。「この物質の世界をどう観るのか」という点にたいして更なる議論を重ねる必要があると。そしてその意味するところは、人のこころの世界を、物質世界とは一線を画した世界であると認識して、自由にこころの世界を飛び回ることが出来る境地に達したい旨。こころの世界を無限に広げていって、こころを集中すれば、彼岸の世界に対するある程度の感覚を得ることが出来、それが生きていくことの救いに繋がると説かれている。果たして私という人間の「こころの世界」を本当に研ぎ澄ますことが可能なのだろうか?生身の人間として諸所の出来事に「揺さぶられるこころ」このことは最後まで捨てられない「こころ根」のような気がする。著書では「覚悟して諦観に身を委ねるのは良い方策とは言えません」とある。自由にこころの世界を飛び回ることが出来る境地とは、中々難しい課題だが、私は時々「なにげなくふっと!南無阿弥陀仏」の六字の御念仏を口にしたときに「あるものを失った重たい気持ちが軽くなる」ことがある。USIさんのお話しのように自由に飛び回る「こころの世界」の境地を得ることは難題と感じるが、ひょっとしたら、この「こころが軽くなる」境地になることがそれに繋がるのではないかとも感じますが、如何でしょうか?(MYZ)
薄井洋基先生へ
この度のご出版心よりお慶び申し上げます。私は先生の「明日への道標」「パンプキンさん」と本書「あなたい会いたい~スーパーインポーズされる世界~」を続けて拝読させていただきました。これらの書籍を執筆された強い精神力、唯々畏敬の念を抱いております。本書は1部と2部に構成され、その流れの執筆には読者に如何に本書を読みやすく理解を深める。相当のご苦労があったやに想像しています。第1部ではメルボルンの美術館聖母像の出会を因縁として、ヤラリバー湖畔での主人公「セイ」と姉の「ヨウコ」との出会いに「女性の手を思わず自分の両手で包み込んだ。その瞬間二人の共鳴は無くなって静寂が訪れた」と表現。そして「姉さん、私はこれまでそれとは気づかずに2回会っていると思います。貴方とのめぐり逢いを話しますね」とロンドンとバースでの出会いを語る。そこに至る夫々の背景を加えながらストーリーは繋がれている。1部を拝読すれば作者の意図は十分理解できる気がする。一方2部ではその背景や理論の裏付け、私には中々理解しがたいところが多い。しかし作者の”あとがき”では「貴方の感受性を研ぎ澄まして、会いたい人がたとえ見えない世界でもあなたに最接近して重力の信号を送るのを待ちましょう・・・・それを感じ取る感受性を保ちましょう・・・現世に往還したと思える瞬間をとらえる訓練をすることです」と結んでいる。ここに本書の読者へ問いかる意図があるような気がした。
(MYZ)
MYZさん 「あなたに会いたい」へのコメントをいただき、ありがとうございます。よく作者の意図するところを読み取っていただいていると感謝しています。ただし私が以前より言っている「この物質世界をどう観るのか」という点に関しては、更なる議論を重ねる必要があると思います。死をどのように考え、そこから現世をどう生きていくのかを考えることです。
生老病死とよく言われますが、「老いて病を得て、最期は死に至る」人間の運命を深く考えずに日々を生き、いよいよと言うときに精神的にも身体的にも弱って「諦観」に身を委ねるのは、良い方策とは言えません。人のこころの世界を、物質世界とは一線を画した世界であると認識して、自由にこころの世界を飛び回ることができる境地に達したいものです。人が死ぬ瞬間は実に不可逆の過程であり、誰しも死を怖いと感じるのは当然だと思います。私も「死ぬのは怖いか?」と聞かれれば「死ぬのは怖い」と答えます。でも、こころの世界を無限に広げていって、いわゆる彼岸の世界、天国、極楽に往って還る体験(あるいは浄土と現世の間の往還)を感知できるように、こころを集中すれば、彼岸の世界に対するある程度の感覚を得ることができ、それが生きていくことの救いに繋がると思います。
先日、上野樹里さん主演の「監察医朝顔2025新春スペシャル」の放送を視聴しました。朝顔のお父さんが死んでいく瞬間を、東北大震災の津波の現場(復興された三陸リアス線のホーム)で、母の思い出と共に体感するラストシーンは圧巻でした。思わず知らず涙が出てきました。お父さんのこの世から去って行く瞬間を、実際には遠く離れていても、我が身のすぐ側に感じることが朝顔にはでき、そこから未来に向かって歩き出すシーンは、人の死と生きていく人の再生の物語として、強い印象を与えられました。
死者は有機体としては分解して何も残らないと考えるのではなく、人のこころは死しても彼岸に存在し続けると信じて、「あなたに会いたい」のお話を描きました。私たちの世界に極隣接した(あるいは超重畳した)余剰次元の世界に人は存続して、現世の愛する人との絆を保持していると考えたいものです。
上田秋成の雨月物語に描かれている「菊花の契り」は親友と交わした重陽の節句の再会の約束を、やむを得ない事情で幽閉されたため、実現することができなくなります。本人はやむを得ず自害します。そして死霊となって千里の道を飛び、友人に会いに来るというお話です。現在でも、亡くなる人が夢枕に立つとか、実際に愛する人に別れを告げるために会いに来たとか、人と人の愛し合う絆が強ければ強いほど、このような体験をする人がいるようです。私たちは死に往く人と、現世に残される人が、強く愛し合って死後の世界まで続く絆を結んでおけば、死に往く瞬間に死後の世界を垣間見る感覚を得ることができるように思います。そのような、愛する人への強い思いと、死後の世界へのヒントを近作の「あなたに会いたい」の物語から汲み取っていただければ幸いです。死は別れではなく、愛し合う二人にとって再会までの暫しの休息期間であると信じましょう。
物質世界に支配されない、こころの世界に生きるためには、ものの観方の一大転換が必要です。意識の集中による自在に対象を観る(観自在)能力の開発に皆様が目覚めますように。
(USI)