大阪・京都への旅日記

2024.4.27(AYSA西部部会会員 MRN)

1.はじめに

大阪在住の娘家族の招きで4月18日から20日にかけて2泊3日の旅を楽しんで来ました。夫婦でJRジパングを使いました。AYSAの皆さんにもこの体験をshareしていただきたく投稿しますのでご笑読いただければ幸いです。
行ってみて先ず驚いたことは、ホテル、駅、観光地などでの人の多さ、特に外国人の多さでした。多くの人にとってコロナパンデミックはもはや過去のことになっていることをと実感しました。

旅程 4月18日 大阪歴史博物館、NHK大阪放送局、大阪城、あべのハルカス
   4月19日 二条城、京都御所
   4月20日 なんばグランド花月、鶴橋韓国市場

2.旅日記

① 4月18日(曇り)

・大阪歴史博物館:

大阪の歴史の全体像を知ろうと手始めにこの博物館を訪ねました。

難波の宮のことについて;
今まで私は、奈良時代から平安時代にかけての都はすんなりと平城京から平安京へと移ったと思い込んでいましたが、実は「難波宮」が絡んでいたことを知りました。その流れは、藤原京→難波宮⇔平城京→長岡京→平安京 でした。目から鱗でした。

・NHK大阪放送局

直ぐ横にNHK大阪放送局がありました。過去のすべての大河ドラマや最近の朝ドラ「ウギウギ」、大河ドラマ「光る君へ」の紹介コーナーがありました。

・大阪城

大阪城は何度か行ったことのある所ですが天守閣以外に初めて知ったことを二つ紹介します。
その一つ目が、こともあろうに本丸内に厳然と旧大日本帝国陸軍第四師団司令部の建物が今も残っていることです。当時の軍部の「歴史遺産など何するものぞ」との傲慢姿勢が見て取れてunhappy な気持ちになりました。その連想で、以前、韓国へ行った時にも同じような気持ちになったことがありました。韓国人にとっては心のシンボルでもあろう李王朝の遺跡「景福宮」の入り口に日本軍は、日本のpowerを知らしめる狙いでか、大門建設を敢行しました。(こんなことをすると反日感情は永遠に消え去らないことになるのに)
二つ目は、天守閣北側坂下の「山里丸」の一角に「秀頼・淀殿らの自刃の碑」があることを知ったこと。何年か前のNHK大河ドラマ「真田丸」にも登場しました。大阪夏の陣で徳川方から大砲を撃ち込まれて敗北を悟った秀頼・淀殿らの壮絶な最後が思い浮かびました。

・あべのハルカス

塔の高さ300m、展望台は地上288mです。窓際に立つと足がすくみました。

図1 大阪城天守閣
図2 大日本帝国陸軍第4 師団司令部
図3 秀頼・淀殿ら自刃の地
図4 あべのハルカス展望台

② 4月19日(快晴)

・世界遺産国宝二条城

新大阪駅からJR線で京都に移動、地下鉄で当地に行きました。二条城は今回が初めてでした。広大な敷地面積、豪華な城郭、徳川幕府の朝廷に対する威信を感じました。圧巻は城内にある二の丸御殿内を見学した時のこと。歴史の教科書に出て来る大政奉還が実際行われたSite。居並ぶ大名たちの前で徳川慶喜が大政奉還の宣誓を行っている場面が復元されていました。身分格差を知らしめる部屋の造りや襖に描かれた動植物の絵には幕府の権威がありました。そもそも二条城は、京の街の治安、朝廷の動向の監視、幕府権威の誇示という機能を持っていたが、大政奉還後は朝廷方の離宮として活用された由です。

・京都御所

京都は何度か行ったことがある処でではあるが京都御所に関する記憶は余りないのは恥ずかしい限りですが、今回は今年NHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台にもなっていること、さらには私自身の終活の一環として、最近「源氏物語」の全体像を総復習していたため、現場、現物、現実を学びたいという思いがありました。宮内庁職員がツアーガイドをしてくれました。車寄せ、紫宸殿、清涼殿、など理解が深まりました。(帝の妻たちや女官たちが暮らした後宮は見学の対象外だった)もう一か所、幕末に長州藩が起こした禁門の変=蛤御門の変の現場にも行ってみました。ハマグリの意味も分かりました。(長州藩の敵は、会津、薩摩、桑名の連合軍だった)

図 5 二条城
図 6 二の丸御殿
図 7 紫宸殿
図 8 蛤御門

③ 4月20日(曇り)

・なんばグランド花月

一度はぜひ行きたいと思っていた所です。東京の寄席とは違いまるで劇場のような大きさ。昼間から笑いが好きなお客さんで入場前から熱気ぷんぷんでした。
2時間で入場料3500円、予約席完売でした。ここに来る人達は本当に笑いが好きなんだなあと感じました。私が知っている出演者は、ザ・ぼんち、笑い飯、桂文珍らでした。休憩後は新喜劇。 全体を通して出演者と客席が一体となって笑いを楽しんでいるのが最高でした。

・鶴橋韓国市場

東京の新大久保、下関のグリーンモール、韓国の明洞などと比べてどう違うのか、機会があったら行って見てみたいと思っていました。印象は、ゴチャゴチャ、狭い、暗い、臭い、古い・・・しかし活気に満ちた力強さがありました。タコ、イカ、カニ、太刀魚、アサリ、などの魚介類、さらにはキムチ、韓国海苔、チジミなどがところせましと並んでいました。

図 9 難波グランド花月
図10 朝席プログラム

・帰宇

夕方の新幹線で帰宇しました。あっという間の3日間、中身のある旅でした。
因みに、新山口の駐車場、駅から離れると一日300円の所がありますヨ。

以 上

 

大阪・京都への旅日記」への3件のフィードバック

  1. usi 返信

    MNRさんへ
    大阪・京都への旅日記、楽しく読ませていただきました。特に京都は、私たち夫婦が蛤御門から少し西に行ったあたりに住んでいた関係で、想い出を新たにしました。大阪は神戸在住時代によく訪れましたが、どちらかというと夜の、北の新地あたりの記憶が強いです。
    お元気で、今回限りと言わず何度でも京阪神のご旅行を重ねてください。(USI)

    • mrn 投稿者返信

      薄井 様

       コメントありがとうございます。今回、京都は二条城と京都御所だけでした。
        二条城は初めてで中に入って感動しました。二の丸御殿には、大政奉還が行われた Scene が
       リアルに再現されて感動しました。さすがは国宝。中学校で使った日本史の教科書に載っていた
       シーンが再下されていました。 
        京都御所も源氏物語や大河ドラマで出て来る場面を眼前に見て、感動とともに身近に感じられました。
       蛤御門は自分の目で確認してみようと心に決め、現場に行きました。幕末期、京都を舞台にした
       血なまぐさい幕府と外様大名の戦いの現場がこの辺りだったんだと思うと気持ちのが高ぶりを感じました。
       この地下にお住まいだったんですね。うらやましい限りです。
        実は京都大学のキャンパスにも行くつもりだったのですが時間と体の余力が足りませんでした。
       機会をつくって再度行ってみたいです。

       有難うございました。   2024.5.6 村野司郎

        
       

  2. myz 返信

    MRNさんへ
    大阪・京都への2泊3日の旅日記、私(社会人になりたての十数年大阪に在していた)は旅程のイメージが思い出され懐かしく拝読させていただきました。やはりMRNさんの今日までの年齢を重ねてこられたご経験からくるそれぞれの場所での歴史的な受け止め方がよく理解できます。「中身のある旅でした」と結ばれている意味はそこにあるのでしょう。「なんばグランド花月」でも寄席に行かれたのはよかったですね。今でも盛況のようで、生でそういうことを体験すること、私達の年齢には大事なことなのでしょう。ところで、最近、「源氏物語」の全体像を総復習されているとか、ご同慶の至りです。MRNさんの幅広いインテリジェンスに敬意。ここを通過点として益々のご清栄をお祈りいたします。新山口駅の駐車場の情報、利用させていただきます。(MYZ)

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