2024-11-6(AYSA西部部会会員 MYZ)
久しぶりに遠出(?)のドライブだ。それは妻が9月初旬に北九州市立美術館で開催される「大コレクション展~あの時、この場所で~」の新聞広告を切り取り、「ぜひ行きたいから一緒に行かない?」と聞いてきた時からの懸案だった。私はこれまで美術館巡りにはあまり積極的な方ではなかった。どちらかと言えば、友人、兄や妻から「あの美術館で有名な画家の絵画を展示しているから鑑賞にいってみない?」との誘いに付き合いで同伴しているくらいの興味しかなかった。それは、絵画鑑賞の魅力をあまり感じてこなかったことにあるのかもしれない。
今回のコレクション展は、9月7日(土)から11月10日(日)までである。妻からの提案に月日が経ってもしばらく私は生返事でやり過ごしていたが、私が参加している毎週の定期文化講座で10月中旬に隣席の受講者(旧宇部興産OBのN氏)との話のやり取りの中で、今年5月に大塚国際美術館(鳴門市)1泊2日の絵画鑑賞し「素晴らしかった!北九州市立美術館(彼の実家はこのご近所とのこと)、是非行った方がいいよ!」と彼から勧められ、それに期日も迫ってきていることもあり私は覚悟を決め、昨年夏、孫達と安芸の宮島への遠出から約1年3か月ぶりに今回のドライブとなったのである。
さて、この度の絵画展は、北九州市立美術館開館50周年記念のイベント「大コレクション展」~あの時、この場所で~(Kitakyushu Municipal Museum of Art : The 50th Anniversary Exhibition The KMMA Collection -At This Place, At that Time-)だけあって、展示内容は、約半世紀にわたるコレクション収集(当館が1960年代から購入及び寄贈された作品)のあゆみを体系的に振り返り、コレクションがどのような経緯のもとで形づくられ、どのような特徴をもつのか、選りすぐりの約200点から紐解くものであった。
その中でもエドガー・ドガの「マネとマネ婦人」、ピーエル=オーギュスト・ルノワールの「麦わら帽子を被った女」、クロード・モネの「睡蓮、柳の半影」、草間彌生の「南瓜」などは代表的な作品であろう。
ところで、日本の主要な美術館は277あるらしい。私の美術館巡りは積極的ではなかったものの、それなりに美術に深い理解のないまま絵画鑑賞をしてきた。東京では上野の森美術館、サントリー美術館、出光美術館、山種美術館、東京新国立美術館(フェルメール展)、そのほか倉敷の大原美術館、県内では山口県立美術館(数十回)及び浦上記念館、香月美術館、下関市立美術館、等々である。宇部市で平成27年に川崎美術館かオープンした時(現在は太陽家具の本店4階に移転)に鑑賞に行った記憶がある。
よく考えてみると絵画鑑賞にはそれなりの意味かあるらしい。
例えば、その作品及び作者への想像力を膨らませる。美意識、直観力、表現力を養う。
多様性を身に付ける。教養を身に付ける。お気に入りの作者や作品を見つける。等々
そう考えてみると、東京新国立美術館でのフェルメール展の絵画鑑賞で「牛乳を注ぐ女」や「真珠の耳飾りの少女」等は今でも気に入っている。
前述の彼は大の美術館巡りファンであるらしい。海外のルーブルやメトロポリタン、それに私が行った美術館意外にも足立美術館(島根)等数多く鑑賞に出かけその都度その素晴らしさに感動してきたと言っていた。私はこの度の鑑賞を機会にもう少し絵画の作品や作者の意図を事前に学習して絵画鑑賞の機会を増やしていきたいと思った。
今回、久し振り遠出のドライブであったが、何故か帰宅後は心地よい疲れだった。(完)
美術館というと、いつかは行ってみたいという所の代表でした。生来の出不精で、お前の様なものは来る資格がないと言われている様な気がしていました。自分から行った事はありません。
昔広島の観光旅行の途中にデパートで印象派絵画の展示会が開かれており、偶然ルノワールなどの実物を目にした事があります。どれも輝く様な印象を受け、これが印象派と言われるゆえんなのかと納得した覚えがあります。モデルや風景に当たる光を効果的に表現している事を実感できました。
子供の頃は美術というと高邁で、漫画はおろかはグラフィックデザインさえ、サブカルチャーとしてさげすまれていた時代でした。今は本当の意味で楽しめる時代となりました。
グラフィックデザインは知的に構成された魅力的な美術として好きでした。今は語学に興味が移っていますが。
老後というと、有り余る時間がある筈ですが、心の余裕がないと、時間はできません。時間を作って美術館やクラシック音楽にひたりたいものです。