川端康成作「古都」のふるさとを訪ねて

2024-10-10(AYSA西部部会会員 USI)

10 月 7 日~8 日に 1969 年度化学工学科卒業生のクラス会が開催され、参加してきました。前回の2019年クラス会には、私は入院中のため欠席して10年ぶりの再会でした。これまで15名前後の出席者数であったのが、77才~78才の年齢になって、今回は8名に減ってしまいました。これまで常連であったクラスメートの 3 名が亡くなって、その上車椅子生活になったりアルツハイマーになったりと動けなくなった人たちもいて、参加者減少の一途です。

研究室が一緒で私の親友であった藤井君も癌で逝ってしまいました。彼は洒脱な川柳が得意で、亡くなった後奥様にお悔やみの手紙を差し上げたところ写真のような川柳を送ってきてくれました。病床で伊藤園の「おーいお茶」の川柳募集に応募したところ大賞に選ばれて記念に、ラベルに彼の川柳を印刷した「おーい茶」を沢山送ってきたそうです。彼は大層喜んでいたと奥様の手紙にありました。私にも1ダース送っていただきましたが、中身は飲んでしまってラベルだけが残っています。写真を見ていただくと、なかなか良い川柳です。

参加者8名の内、癌になっていないのは一人だけで、その他の友人はみんなどこかの癌に罹患していました。早期発見と適切な医療でみんな乗り切って元気に集まることができました。第一線を退いて、半数はボランティア活動を行っており、趣味に励んでいるのが2名(音楽クラブや園芸などなど)、企業退職後は関連の仕事を続けているのが2名でした。

京都は何処も満席で、ホテル代も会食代も目玉が飛び出るほどの高騰ぶりです。今回はワンゲルで活躍していた幹事の記憶をたどって、周山街道の奥の方にあるペンションを予約しました。1泊2食付きで¥17,000 と格安、観光客もここまではやってこず、当夜は我々のみの貸し切り状態でした。場所は双岡の仁和寺や竜安寺の辺りから周山街道に入り、北山杉の美しい街道をバスで 1 時間半ほど入っていき、神護寺の横を通って、もっと先の方のペンションでした。

宿の女将の話では、北山杉も最近は売れ行きが落ちて、林業従事者も減る一方、困難な状況だそうです。北山杉をはじめ林業にも大きい危機が訪れているようです。京都市内の観光客は増える一方で、有名観光地はごった返しているのですが、周山街道も少し奥に入ると訪れる人も少なく、現地の人たちは活性化に苦慮していると、女将はこぼしていました。 (USI)

川端康成作「古都」のふるさとを訪ねて」への1件のフィードバック

  1. MRN 返信

    USIさん 投稿ありがとうございました。クラス会、齢70歳後半を迎え年々参加者が減っていくのは淋しいことですね。今回は8名とのこと。さぞや参加者の絆はいや増しに深まったことでしょう。
     さて川端康成の小説「古都」のこと知りませんでした。 知っているのは「伊豆の踊子」、「雪国」位で・・。Wikipediaであらすじ追ってみました。康成は睡眠薬を常用していて、半ば幽玄の世界の中で、京都の自然を讃えつつその中で織りなす人間模様を描こうとした由。
     生き別れた双子の姉妹、八重子と苗子、八重子は捨て子で呉服問屋夫婦に拾われて恵まれて成長し、苗子は北山杉を産出する静かな山村の村娘。二人に成長後出会う機会が訪れるが、同じ世界で交流を開始することなく
    それぞれの人生を静かに送る・・・といった内容かと感じました。康成の晩年の卓越した孤独感を感じます。
    多分この作品にはモデルはなく、康成が創造した架空の人物と感じています。小説「古都」があることを教えていただき有難うございます。
                                     2024.10.14 MRN拝

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