2023-12-24(AYSA西部部会会員 MYZ)
私は、2003年4月(前年の9月に養母が死亡)宇部にUターンして、「宮﨑家」のお墓の掃除とお参りが、恒例となった。それは、春秋のお彼岸とお盆、それと年末の年4回(墓前祭などの祭事は別にして)である。今思うに、この行事は約20年余り続いていることになる。最初の5年は養父も元気だったこともあり妻と3人、そして近所の親戚夫婦2人と人手もそれなりにあり、賑やかにその行事をすることが出来ていた。そのあと、自宅に帰りみんなでお茶やお菓子を食しながら「昔話」に花が咲いた。2009年3月に養父が亡くなり、その後は、親戚夫婦との4人でその行事をし、終ったあとは、その親戚のご夫婦と宮﨑家に関する親戚関係の話題や隣近所の出来事等の世間話、私には初めて知る話題も多かった。私は、妻と結婚後、子供が3歳の時に妻の実家の宮﨑家へ3人の養子縁組をした。しかし、私の仕事の勤務地は大阪、東京が中心、生活基盤は妻の実家のある宇部にはなかった。年1回、夏季休暇で帰省はしていたが、養父はそのこと(宮﨑家の家系)をあまり話題にしなった。そのため、宮﨑家の諸事情についてはあまりよく知らなかったのである。
このお墓のこともそうである。いつもお参りしながら、妻の祖父である「宮﨑恵濟」とはどんな方だったのだろうか?いつも気になっていた。妻はなんとなく「おじいちゃん」がいたとの記憶があるらしい。私は、この方が南方八幡宮の宮司をしていたことを後々知った。ところで、「宮﨑恵濟」と「宮﨑ミネ」(宇部の島地区にある国吉家から)には3人の男の子がいたと聞く。私の養父はこの夫婦の三男であった。長男は早くに亡くなり、次男は違う道に進み、本来は三男である養父がこのお宮の宮司を継がなければならない立場であったが、既に地元の銀行に勤務しやめられない状態であったとのこと。やむなく、恵濟氏の長女の嫁入り先(山口大神宮の宮司)の長男(既に防府天満宮や山口大神宮で神官として従事していた)にこの南方八幡宮の宮司として向かい入れ今日まで来ていた。
そこで、私はこのお墓のことを少し調べてみた。本来、お墓は「公営墓地」「寺院墓地」「民営霊園」「共同墓地」とある。どうも、墓地には「墓地・埋葬に関する法律」(昭和2年に制定)があるらしい。法律では、「墓地とは、墳墓を設けるために墓地として都道府県知事の許可を受けた区域をいう」とある。私有地は「みなし墓地」と「無許可墓地」があるとのこと。私は、養父が亡くなったときに、私有地にあるこのお墓について調べるために、宇部市役所の関係部署に出向いた。そこで、関係書類を見せていただいた。確かに、祖父の「恵濟」が、山口県知事の許可を取り、この地を「墓地」として取得していた。思うに、祖父は「代々の宮﨑家のお墓」としてこの地に集めて埋葬したのではないかと想像する。その後、養父が勤務地の下関からこの生まれ故郷に戻り、1991年3月に今のお墓を建立していた。2002 年 9 月に養母、2009 年 3 月に養父が亡くなり、今は自ら建立したこのお墓に眠っている。
ところで、私達夫婦も後期高齢者に仲間入りし、それぞれの肉体的衰えは隠せなくなった。最低でも年4回のお墓の掃除と参拝は欠かせないなかで、少しずつお墓の掃除が辛くなってきている。私たちが U ターンしてこのお墓を守り続けてきたが、夫婦 2 人で、又、仮にひとりになったとして、いつまで続けていくことが出来るだろうか?難しい判断が迫りつつある。
幸いにも、このお正月には孫たちと一緒に息子が帰省してくれる。ゆっくりと話し合いをしよう。基本的には息子たちはこの地には住まないことを決めている。唯一の方法としては「永代供養」しか方法はないのであろう。世間では「墓 じまい」をすることも多くあると聞くが、私たちは、南方八幡宮にお願いするつもりである。息子には「墓供養」で年に数回は帰省してお参りしてほしいことは約束したいが?
まだまだ元気に過ごしていけると感じながらも、肉体的には年々衰えているのである。友人や親戚の訃報を耳にすると、私達夫婦もそのことを気づく年齢になっているのだと。本格的に終活を始めようと、お墓の掃除と墓参りをして思うこの年末である。(完)
※ 神道のお墓は「〇〇家奥津城」(おくつき)、「〇〇奥都城」(おくつき)と彫刻され、頂点は四角錘になっている。
※ 仏教は「〇〇家之墓」と彫刻され、頂点は平らである。
夫々に、意味があるらしい。
KBYさん、コメント有難うございます。
私のお墓に対する原点は、実家(山口市陶)にあると思っています。幼少のころ家族(私は8人兄弟で下から2番目)揃ってお参りし、先祖を偲んで冥福を祈り、感謝の気持ちを伝える。そして、先祖との心の繋がりを感じ、心の拠り所としてこれからの家族の幸せや健康を願う。お参りしながいつもこのことを母から教えてもらっていたような気がします。宇部にUターンしてからは、できるだけ年に数回は実家のお墓参りもして来ました。このお墓参りで、両親や長兄(8年前に死亡)の古を憶念し、その思い出に浸りながら晴れ晴れとした気持ちになれることを良しとしています。人というものは何かと繋がりを持ちつつ、そこに自分の人生の意味を見つけながら「あるがままを」生きてゆく。このお墓のお守りすることを続けながらそのようなことを感じているこの頃です(MYZ)
宮崎さま お墓の見守り、ご苦労様です。それで、いつまでこうしたことが出来るのだろうか、と不安感に駆られることもほぼ同じ年代の人間としてよーく分かります。小生の場合、幸いというか次男であったため長男(すでに亡くなっている)の息子(甥にあたる)に引き受けてもらって、今の所その心配は少なくなりました。甥には2百万円を渡し、「ともかく君の代だけでも祖先の墓守を頼む」と言っている。その後の代にどういう風に扱われるかは分かりません。・・・と、なんでもない感想になりますが、コメントに変えさせていただきます。一点気づいたことですが、「永大供養」ではなく「永代供養」が正しい表記だと思います。 KBY