2025-1-29(AYSA西部部会会員 MYZ)
何時もは妻から「映画に行かない!」と誘われていたが、今回は私の方から妻に声をかけた。実は数日前の宇部日報「シネマスクエア 新作案内」の記事にこの映画のあらすじが掲載されていた。それは複雑に絡みあった家族の人間模様を夫々の立場で溶解し再生していくヒューマンドラマとして紹介されていた。私は直観的にこの映画を見たいと思ったのは主役を演じる「升毅」にある。彼は「八重子のハミング」(十数年前に鑑賞)で初めて主役を演じた俳優で、NHK朝の連続テレビドラマ「あさが来た」では、主人公(今井あさ)の父親として京都の呉服問屋の旦那役を演じ好評を得ていたからである。
このドラマのあらすじは北海道の海辺の小さな町で暮らす漁師の善次(升毅)は喧嘩別れしてから一度も会っていない息子の光男(和田聰宏)をがんで亡くしてしまう。東京で行われた葬儀に出席しないまま四十九日を迎えようとしていたある日、光男の妻・透子(田中美里)が娘で姉の美晴(日高麻鈴)と妹の凛(宮本凛音)を連れて訪ねてくる。突然の訪問に戸惑い上手く接することが出来ない善次だったが、彼女たちを通して亡き息子に思いを馳せていく。自閉症で聴覚過敏を持つ美晴を守るのに必死な透子と、守られてきた世界から外に踏み出したいと願いながらも、不安を感じる夢の中に逃げ込んでしまう美晴。小さな町の人々とも交流する中で、3人は自分自身の内なる声に耳を傾き始める。(映画.Comから引用)
このあらすじだけではこの映画の「意味深さ」は理解できない。やはり実際に鑑賞してみると「その時に、その場面で、その言葉を、そしてその行動を!」がよくわかる。
最初は、美晴が一粒の涙を流しそれをぬぐうハンカチをテルテル坊主にして飾り、その画面から雨の中を傘が宙に舞う。この流れを最初に持って来たことは、これからのストリーをよく考えて観て欲しいとの意図があるのだろう。
まず考えたのは喧嘩別れして会っていない善次の息子への思い。四十九日を迎える前に息子のものをすべて整理し、廃棄車に乗せてしまうが、しかし「あるもの」だけは車から降ろし持ち帰り自分の書棚に(孫娘はそこをおじいさんの秘密基地と言っていた)に残す。何故だろうか?善次は別れた息子からある詩集に掲載された自分の作品を読んで欲しいとその冊子と手紙をよこしていたが、でも善次は返事を書く文章を思いつかない。そして返事が書けない。その心残りがあったのだろう。
漁業を生業とする日々の一人暮らしの中で、唯一の慰みはやはり“お酒”である。ハンバーグに大量のマヨネーズをかけて酒の肴にするシーンは滑稽ではあったが、俳句の会、書き方の手習いもやめてしまった善次、別れた息子への後悔の思いを抱きつつそうするしかなかったのだろう。
そんな生活を送る善次のもとに突然亡くなった息子の妻とその娘姉妹が四十九日法要に参列するため、遺骨を持って東京から訪ねてきたのである。最初はその家族を相手に戸惑いを覚える善次、そして四十九日の法要を通じて孫姉妹の姉の障害を肌で感じ、自分の在り様(別れて一度も会わなかった息子の家族なのだ)に段々と気づいていく。そして一つの家族としてその役作りを見事に演じている。
なぜ「傘を」なのか?姉・美晴の障害に息子の妻がかかりきりで世話をしている。それに違和感を覚える善次と凛が、母がいないときのある日、美晴を手習いの先生にお願いしてワイナリーを経営(ワイナリーの経営者と葡萄園はある事件を通じて美晴は親しみを覚えていた)している葡萄園に連れて行かせた。遅くなっても帰ってこない美晴を心配する透子は善次と凛に厳しくやり場のない言葉を投げかける。「何故あの子にそんなことをしたの!」と。そんなやり取りの中、美晴はワイナリーの経営者から預けられた「葡萄酒」を抱きかかえて帰ってきた。透子は「お母さんはあなたのことをどれほど心配したか!わかっているの!」と美晴を叱責する。障害のある美晴はびっくりして自分の居場所に逃げる。そんな中、妹の凛は「お母さんは美晴ちゃんのことをお姉ちゃんと呼んだことがなかったじゃないの!」と涙ながらに返す。この言葉に透子は美晴に対している自分の今の立場に気づく。そうなのだ、美晴に合う「傘を」与えていなかったのだと。
美晴と亡き父との「傘を」のシーンが何度か出てくる。いろんな色の「傘」に美晴は違うと中々うなずかない。「傘」はそのまま大空へ飛んでいく。ここで初めて最初のストリーの意味がわかる。
この映画のラストシーンには涙が溢れる。善次が息子に語りかけるその後悔の言葉と演技、そして母親の娘たち対する思いを亡き夫に「お父さん、孫たちをおじいさんに会わせることができたよ!」と浜辺で叫ぶ。聴覚障害のある姉の美晴、一歩一歩進んで成長し、そしてクライマックスは「傘をさしながら雨の中、傘が離れていき雨に打たれながらも喜びに溢れるシーン」。そうなのだ!それぞれの「傘」に受け止め方もいろいろあるのだ。
この映画の監督は渋谷悠で、彼は劇団牧羊犬を主催し短編映画では国内外から高く評価されていて、今回は長編の初監督作である。
またロケ地の北海道余市町、ウイスキーで有名だがワイナリーの葡萄とワインも美味しいとのこと。そして撮影のところどころに余市町の「良さ」を醸し出すために、ちょっとした浜辺で寄せては返す波の音そして緑豊かな丘を背景にした映像がまた私達の耳や目を楽しませてくれる。これも演出の一つだろう。やはりプロデューサーはこの町出身の大川祥吾という事もうなずける。
ところで、思うに、「傘」はいろんな比喩にも使われている。日本は核の抑止力として「核の傘」にあるとか。「〇〇は晴れの時には傘を持って来るが大雨の時には傘を貸さない」とか。・・・・・・・・・。そして私は森進一の「おふくろさん」を思い出す。「おふくろさんよ! おふくろさん・・・・・・雨が降る日は傘になり お前もいつかは世の中の 傘になれよと 教えてくれた あなたの ・・・・真実 忘れはしない」 そうだよね!私の末弟(昨年の9月に黄泉の世界に旅だった)が彼の結婚式の披露宴で歌い、それを聴いたおふくろが「涙していた」こと。
この映画のいろいろなシーンを振り返りつつ、そして末弟の面影を重ねながらシアターを後にした。(完)
KTMさん USIさん コメント有難うございます。
その時その時で「揺れ動くこころ」をコントロールする。中々難しいことです。第1回の「こころを語る会」で河合隼雄著の「こころの処方箋」を改めて読み直しています。昨年亡くなられた谷川俊太郎によるその書籍のあとがきの「三つの言葉」で、河合さんがよく口にされている言葉が三つあると。ひとつは「わかりませんなあ」、もうひとつは「難しいですなあ」そして三つ目は「感激しました」であるとのこと。そうですね。USIさんはこの難しい「こころ」の世界を探求されている。3月15日(土)第3回「こころを語る会」の参加を楽しみにしています。(MYZ)
MYZさんご推薦の映画「美晴に傘を」を夫婦で鑑賞しようとシアターに行きました。
見終わって二人とも「涙が出たね」と話しながら帰ってきました。
MYZさんの投稿記事を読まずに、白紙の状態で映画を見て、その後HPの記事を読みま
した。MYZさんは丁寧に映画の概要と、感想を書かれています。私は、それに加えて
自分がどのように感じ、考えたかをコメントしたいと思います。
息子の詩人になりたいと言う希望を、退けて20年間疎遠になり、とうとう息子を癌で
死なせた父親の苦悩と悔恨、そして悲哀。
夫を亡くして悲嘆に暮れると共に、残された聴覚過敏で自閉症の長女の行く末を案じ
る母親。
亡くなった父親の残した絵本「美晴に傘を」の中に没入した長女「美晴」
姉を理解して助ける妹「リン」
この4人が父(夫・息子)の49日の法要のために、故郷の北海道で会うことになりま
す。色々と葛藤がある中で、「美晴」のこころは成長していきます。発達過程にある
こころは、やがて人を愛することを知り、自立していく兆しが見え始めます。「美
晴」は傘を持たずに雨に打たれようとするのです。登場人物4人がそれぞれの進む方
向を見つけるであろうと期待できる予兆を含んで映画は終わります。
私達の身近に多くある、障害を持つ子どもを残して死んでいかなければならない親の
苦悩は計り知れないものです。障害者自身も苦しみ、助けを求めあがきますが、結局
は自分自身の心を強靱なものにして、前に進んでいくことが大切です。(私の近作
「臨床心理学教室のパンプキンさん」は発達過程における障害者の自己治癒能力に焦
点を当てました。また、現在企画している3月15日(土)の第3回こころを語る会におい
ては、どのようにしたらこころのしなやかさを高めることができるのかについて、お
話しします)
死んでこの世では会えなくなった人に、会いたい、詫びたいと言う父の気持ち、夫に
会いたい、一人で娘の将来を支えていかなければならない母の気持ちは最後の独白に
込められていて、心を打たれます。日本人の一般的な死生観に則った死者への語りか
けは、私自身は少し物足りなかったです。でも、「美晴」の傘に対する思い、傘に込
められた父の思いは、美しい映像と共に見る人の心を打ちます。(私の最新作「あな
たに会いたい」の思いにも通じるところがありました。)
夫婦二人で涙する機会を与えていただいた映画「美晴に傘を」に感謝します。
(USI)
MYZさん
想い出に残りそうな映画ですね。
偶然にも、私も自閉スペクトラム症者の生活史「心のない人はどうゆって人の心を理解しているのか」(横道誠著) を読んでいました。
自閉症スペクトラム症者は他者の心を理解する能力がない人とか、共感能力のない人とかして論じられ、人間らしい心を持っていない人々のようにみなされ、非難される経験、仲間外れにされたり、いじめられたりする経験が多いと聞く。
彼ら自身も、その固定観念に苦しめられて、心が壊れてしまっている可能性は高く、他人から見ると「心のない人」と言えるかもしれない。しかし、自閉症スペクトラム症者と言えども心があり、創作書物の読書、芸術鑑
賞、マンガ・アニメ、オタク趣味、など通して人の心を理解としようしているとのこと。
(自閉症スペクトラム症者期待するが期待する心)
★完全なダイバーシティーの実現・・・大河ドラマでの人間ドラマを参考にして
★「べき」から自由になる・・・・・・村上春樹の心理共感
★発達障害のことをもと知ってほしい
★自分と違う人への想像力
★受け入れて、自由にさせてほしい
★思いの言語化を手伝ってほしい
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