2024-5-31(AYSA西部部会会員 HYS)
コロナ騒ぎで、この数年、旅行していない。
今年はと思い立ち、家内に計画を任せ、結果的に黒部、立山を回ることとした。
時期は、夏野菜の種蒔きや植え付けを終えて、かつ今年5月は私がAYSAのセミナー担当なので、それが終わってから出発と決定。
家内は幾つかの資料を読んだようだが、結局、5月26日に出発するツアーを4月に申し込み。若干、梅雨が気になったが、日程の選択肢は少ない。
初日は、名古屋からバス。真っ直ぐ上高地に向かった。
エリアに入り大正池を過ぎ、河童橋の見える付近から突然、眼に飛び込む残雪の穂高連峰はさすが見事。新緑の近くの山々の向こうに、突然、雪をまとった高山が顔を出す。進行方向左には、素晴らしく清らかな梓川が流れる。時間制限のある自由時間には田代池を回ろうとしたが、ガイド地図だけでは距離感(残余時間)がつかめず、ウェストン碑まで歩き、元の河童橋まで引き返し、集合時間に間に合った。観光客は日本人よりインバウンド客がやや多い感じ。中でも、韓国、東南アジア、中華系の人々の団体。
上高地の後、別の一ヶ所を回り、当日の宿泊施設・白馬山麓のホテルで宿泊。ホテルの周りには既に雪は無いが、白馬の残雪雪山も見事。
翌日は信濃大町から黒部ダム、立山室堂(ちなみに立山は3,015m)まで登り、そこをピークに下りに入り、ほぼ平地の立山駅まで標高差2,500mを上下に移動。電気バスやケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスなど多くの乗り物で周りの景色を楽しむ。
黒四ダムでは、昔映画「黒部の太陽」を見た記憶を思い出し、ダム建設にかけた苦難を乗り越えた人々を思い返した。非常に幸いな事に、その二日目までほぼ快晴。運が良かった。確かに、このコースは大自然を満喫できる素晴らしい日本有数の山岳観光ルートだと実感。
ただ、氷河に削られた鋭角的な風景のヨーロッパアルプスとは異なり、やや温和な日本的な山岳風景だと感じた。ユングフラウ鉄道で終着駅のユングフラウヨッホ(標高3,454m)に行った経験があるが、途中のアイガーヴアント駅はアイガー北壁に面した駅で短い停車時間の間に下車し、ガラス越しに北壁や、はるか下のふもとを見た記憶が忘れられない。鉄道にかけるスイス人の熱意・執念を強く感じた記憶がある。(高所の多くは地下トンネルであったように記憶)
今回登った日本の高山は、仏のお姿をした祈りの山、安らぎの山姿ですね。山岳信仰を納得。
その日は富山市内のホテル宿泊。
三日目は宇奈月からトロッコ電車。当日は終日雨。トロッコ電車には天井は有るが、窓は無く雨合羽を着て往復。 これも良き思い出になりそう。帰りも名古屋から新幹線。
家内が喜んだ久しぶりの旅行でした。
HYSさん、奥様との立山ご旅行、楽しんでこられたことと思います。
良い想い出を作られましたね。
私たち夫婦は神戸に住んでいたときに、富山から立山に入り、室堂平らのホテルで1泊しました。翌日は大観峰を経て黒部ダム、そこから扇沢に降りてくる、ちょうどHYSさんと反対のルートをたどりました。途中の大観峰でキノコが沢山入った信州そばを堪能しました。そこで隣に座った4~5人のグループが話し合っている方言が、どう聞いても香川県、特に私の故郷の西讃の方言なので、思い切って話しかけてみました。すると案の定、私の出身高校(観音寺第一高等学校)の先生たちでした。懐かしくて、話し込みましたが彼らはHYSさんと同じるーとで、これから黒部ダムに行くとのことで、別れました。そのときもらった名刺は今も手元に保管しています。
私たち夫婦は、旅行の企画手配は全て私がすることになっています。家内は大名旅行で「良きに計らえ」と行ったところです。私の父母も同じように、今は亡き父が旅行の企画手配を受け持っていました。歴史は繰り返すと言うことでしょうか。(笑) (USI)
HYSさんへ ご夫婦で素晴らしいご経験(立山黒部アルペンルートへの旅)をされましたね。機会あるごとに心に残る思い出をご夫婦で語り合う。いいですね!ユングフラウ鉄道の旅も「経験の配当」として蓄積されていて、そのことも語り合える材料になる。つい何度も読み返させて頂きました。写真も素晴らしいです。他にも多くの思い出の写真をお撮りになったのでしょう。後々に、思い出の写真を見ながらご家族で語り合う場面を想像しています。
私は数十年前に秋田の十和田湖から奥入瀬の渓流、八甲田山への雪の壁に囲まれた山道をバスで走る。時々、息子家族や娘家族が帰省した時にその思い出を「こんなことがあったね」「あんなことがあったね」と語りあっています。こんなに空が碧かったのか!日本列島は縦にも横にも長く夫々の地で違った地形で季節感が楽しめるます。日本の良さを再認識し新しい発見もある。インバンド増加もうなずける気がします。今回の投稿に勇気を頂いたところです。(MYZ)